​東京大学 解答・解説

<目次>

 

 

東京大学2020/2/26(水) 

《 以下概要 》

 

論述一行30字。

大問1は、基本600字などの大型論述

地図問題なし

書き取り一問一答

大問Ⅰ

冊封体制から主権国家体制への移行。

史料を使えという指示が難度をあげる。

薩摩・下関条約・小中華

条約・清仏戦争・朝貢

 

大問Ⅱ

匈奴最盛期の状況(60字)

モンゴルとチベットの独立の動き(90字)

英国のエジプト進出(120字)

白豪主義の形成過程(60字)

移民・黒人の排斥運動(90字)

米墨戦争の経緯(60字)

大問Ⅲ

平易な一問一答。

​東大なだけに、学問系が目立つ。

追記:

2020/02/27(木)0:48現在

大問1について。

河合さんと東進さんと代ゼミさんの解答を読んだ。(駿台さんはまだ出てない)

三者とも、

小中華思想を、

夷狄の清が明を滅ぼして、

李氏朝鮮が小中華を自称と処理していた。

一方、ゆげは、以下の様に扱った。

「その文明の高さは、 近代列強の進出までは重ねて圧倒的で、史料 A にみられるように朝鮮の小中華思想にまで 影響を与えた。」

これは、本問は

二段階論を取るべきと考えたからだ。

問題は以下である。

「伝統的な国際関係のあり方と近代におけるその変容について」

つまり、小中華意識を丁寧に説明してしまえば、三段階になってしまう。

明を中心とした冊封体制

  ↓

清を馬鹿にした冊封体制

  ↓

​近代主権国家体制

河合さんは、明らかに、

三段階で書いている。

「華夷秩序は再編成された。」

ゆげは問題に対し、素直に答える

二段階論なので、小中華主義による

冊封体制の変容を書きませんでした。

どちらが、正しいのか・・・

東大も外大のように、

​模範解答の提示をお願いしたいですね。

 

 

東京大学2016年度 

論述模範解答・解説

大問Ⅰ

第二次世界大戦後の世界秩序を特徴づけた冷戦は、一般に1989年のマルタ会談やベルリンの壁の崩壊で終結したとされ、それが現代史の分岐点とされることが少なくない。だが、米ソ、欧州以外の地域を見れば、冷戦の終結は必ずしも世界史全体の転換点とは言えないことに気づかされる。 米ソ「新冷戦」と呼ばれた時代に、1990年代以降につながる変化が、世界各地で生まれつつあったのである。以上のことを踏まえて、1970年代後半から1980年代にかけての、東アジア、中東、中米・南米の政治状況の変化について論じなさい。

解答は、解答欄(イ)に20行(600字)以内で記述し、必ず次の8つの語句を一度は用いてその語句に下線を付しなさい。

アジアニーズ(注) イラン=イスラーム共和国 グレナダ 

光州事件 サダム=フセイン シナイ半島 

鄧小平 フォークランド紛争

(注)アジアの新興工業経済地域(NIES)

解答は18行(540文字)以内で記し、必ず次の8つの語句を一度は用いて、その語句に下線を付しなさい。

第1問 解答・解説

《主題》 

政治状況の変化

《範囲》

1970年代後半から1980年代にかけて

東アジア・中東・中南米 

《副題》

1990年代以降につながる変化

ゆげ:2018年08月09日(木) 03:28

米ソ冷戦終結により、パックス=アメリカーナに至った歴史観は、地域史を精緻にみることにより修正を求められる。まず、東アジア。鄧小平が改革開放を推進させ、その経済力で、その後、中国海軍を整備し米国の脅威となった。また、米国の対中拠点となっていた韓国と台湾においても米国の影響力は低下した。その理由は、韓国と台湾はアジアニーズの一員として経済発展し、光州事件や蔣経國死亡後は段階的に民政移管が進められ、その選挙結果によっては、米国と距離を置く政権が登場するようになったからだ。次に中東。確かに、シナイ半島返還によるエジプトの戦線離脱は、中東戦争を終わらせ、米国の影響力は増したように見えるが、同時期に反米のイラン=イスラーム共和国が成立した。米国はその影響下のサダム=フセインにイランを攻撃させるが、イランは防衛に成功し、今日もイランと米国の対立は続き、ホルムズ海峡は不安定なままである。最後に中米・南米。確かに、レーガン政権のグレナダ侵攻は「中南米はアメリカの裏庭」の好例に見える。しかし、同時期にフォークランド紛争が発生しており、これは米ソ冷戦下にも関わらず、起きてしまった資本主義国家同士の戦争であり、アメリカの影響力低下の好例と言える。事実、79年の第二次オイルショック以後の燃料資源の高騰と資源ナショナリズム等により、中南米には反米政権が登場、台頭し、もはや「裏庭」とは呼べない地域となった。597文字

第2問(b)

16世紀にオスマン帝国が導入した外国人商人に対する制度は、イスラーム法の理念にもとづき、交易の発展をはかることを目的としていた。この制度の名称を書きなさい。また行を改めて、この制度の内容、および後の時代に与えた影響について2行(60文字)以内で説明しなさい。

第2問(b) 解答

カピチュレーション

外国人商人等は飲酒などによるイスラーム法適用を逃れるという治外法権制度。

後に列強により悪用され、植民地化を進展させた。(59文字)

第2問 問(2)

北インドでは、ティムールの末裔バーブルが、1526年、パーニーパットの戦いでロディ一朝に勝利をおさめた

彼がムガル帝国の基礎を築いたとするならば、第3代のアクバルは、中央集権的な機構を整え、ムガル帝国を実質的に建設した人物であった。以下の(a)・(b)の問いに、冒頭に(a)・(b)を付して答えなさい。

(a) アクバルの時代に整備されたマンサブダール制について2行以内で説明しなさい。

(b) 第6代アウラングゼーブの時代には、ムガル帝国の領土は最大となったが、支配の弱体化も進んだ。この支配の弱体化について2行以内で説明しなさい。

第2問 問(2) 解答

(a)ムガール帝国版イクター制。位階に応じて、分与地の徴税権が与えられると同時に軍役時の騎兵・従卒の数が決められていた制度。(60文字)

(b)領土拡大にマンサブダール制の整備が追いつかなかった。加えて、ジズヤ復活により異教徒の反乱を招き、地方分権化が進んだ。(59文字)

第2問 問(3)

17世紀のイングランド(イギリス)およびフランスで実施された経済政策について、それらを推進した人物の名や代表的な法令をあげつつ、当時のオランダの動向と関連づけて4行以内で説明しなさい。

第2問 問(3)解答

中継貿易で栄える蘭国の競争力に対し、英仏は重商主義政策を採った。クロムウェル政権は航海法を制定し、英国の港に入る船を事実上英国船に限る保護政策を採り、英国東印会社を守った。仏国はコルベール指導の下、王立マニュアファクチュアを保護・育成した。(120文字)

 

東京大学2015年度 

論述模範解答・解説

 

第1問

近年、13~14世紀を「モンゴル時代」ととらえる見方が提唱されている。それは、「大航海時代」に先立つこの時代に、モンゴル帝国がユーラシア大陸の大半を統合したことによって、広域にわたる交通・商業ネットワークが形成され、人・モノ・カネ・情報がさかんに行きかうようになったことを重視した考え方である。そのような広域交流は、帝国の領域をこえて南シナ海・インド洋や地中海方面にも広がり、西アジア・北アフリカやヨーロッパまでをも結びつけた。

以上のことを踏まえて、この時代に、東は日本列島から西はヨーロッパにいたる広域において見られた交流の様相について、経済的および文化的(宗教を含む)側面に焦点を当てて論じなさい。

その際、必ず次の8つの語句を1度は用いて、その語句に下線を付しなさい。なお、( )で並記した語句は、どちらを用いてもよい。解答は20行(=600字)以内で記述し、必ず次の8つの語句を一度は用いて、その語句に下線を付しなさい。

ジャムチ 授時暦 染付(染付磁器) ダウ船 東方貿易 博多 ペスト(黒死病) モンテ=コルヴィ

第1問 解答

要求:交流の様相について

留意点:経済および文化的側面に焦点をあてて

地理的範囲:日本から欧州まで

ゆげ 2019/06/29:

まず、経済的側面に焦点をあてる。駅伝制であるジャムチがユーラシア大陸の東西を繋いだだけでなく、これに海の道が接続し、大ネットワークが形成され、金・銀が流通した。その不足から、当時ゴールドラッシュであった日本を服属させようとし、元は博多を襲撃した。マルコ=ポーロはこの黄金伝説を『東方見聞録』で欧州に伝えた。また、東方貿易によって欧州でも貨幣経済が展開し、同じネットワークで入ってきたペストも重なり、西欧では、経済的に定額貨幣地代に移行した。既に中国・朝鮮の主要輸出品となっていた陶磁器は陸路にむかず、それ故に海の道が発達していた。確かに、モンゴルはジャムチを整備し、シルクロードでは文字通り、絹を中心とした東西交易は更に活発になったが、上述の海の道は、陶磁器に加え香辛料も運び、陸路の重要性は相対的に低下した。次に、文化的側面に焦点をあてる。パックス=タタリカは文化的に伝播や融合をもたらした。ダウ船にのったムスリム商人は陶磁器や香辛料を運んだだけでなく、マレー・スマトラのイスラーム化にも貢献した。東方貿易はイスラーム世界からアリストテレス哲学を欧州にもたらし、スコラ哲学へと発展させた。同じく海の道を使ってモンテ=コルヴィノは大都に至り、基督教を布教した。また、イスラーム世界から青色の顔料が中国にもたらされ、染付の開発に至った。また、イスラームの天体観測技術を用いた授時暦も中国で開発された。(599文字)

 

 

東京大学2014年度 

論述模範解答・解説

第1問

19世紀のユーラシア大陸の歴史を通じて、ロシアの動向は重要な鍵を握っていた。ロシアは、不凍港の獲得などを目指して、隣接する様々な地域に勢力を拡大しようと試みた。こうした動きは、イギリスなど他の列強との間に摩擦を引き起こすこともあった。
以上のことを踏まえて、ウィーン会議から19世紀末までの時期、ロシアの対外政策がユーラシア各地の国際情勢にもたらした変化について、西欧列強の対応にも注意しながら、論じなさい。
解答は20行(=600字)以内で記述し、必ず次の8つの語句を一度は用いて、
その語句に下線を付しなさい。

アフガニスタン  イリ地方  沿海州  クリミア戦争  トルコマンチャーイ条約
ベルリン会議(1878年)  ポーランド  旅順

第1問 解答

《主題》 

ロシアの対外政策がもたらした変化(ユーラシア各地の国際情勢に)

《副題》

西欧列強の対応にも注意しながら

《時期》

ウィーン会議から19世紀末までの時期

ゆげ:

ナポレオン没落後の19世紀はグレートゲームの時代である。膨張する露国に対し、英国は印度とその連絡路、そして中国での権益を守りたかった。以後は地域別に、中央アジア・中東、バルカン、極東の順に同対立を述べる。露国はウズベク族の地域を抑え、更にイリ地方を巡って清にも勝利し、南下に成功した。これに対し、英国はパンジャーブ防衛の為、苦戦しながらもアフガニスタンに進駐。中東においてもトルコマンチャーイ条約で露国はアルメニア等を獲得し、英国はカージャール朝との関係を強める等で対抗した。次はバルカンに関して。地中海進出を目指す露国はクリミア戦争に国運を賭けるも、英仏連合軍に敗北した。再挑戦した露土戦争には勝利するも、最終的にはベルリン会議において、その南進は止められた。ビスマルクが露国不利に会議を誘導した背景には独国の安全保障があった。1815年に露国はポーランドを獲得した為、独露は国境を接しており、独国は露国に脅威を感じていた為である。その後の独国の強大化に対し、露仏の利害は一致し、同盟が結ばれ、シベリア鉄道建設に至った。既に露国は1860年に沿海州を獲得していたが、同鉄道によって極東進出が加速した。旅順・大連の獲得、東清鉄道の敷設権獲得にまで至った。また義和団事件の際も、露国は大兵力を投入し、中国支配の野心を露わにしていた。中国にも大きな権益を持つ英国は、その対抗の必要性から日英同盟を模索し始めた。

(598文字/600文字 数字は2文字1マス)

 

 

東京大学2013年度 

論述模範解答・解説

第1問

大西洋からインド洋,太平洋にかけて広がる海を舞台にした交易活動は, 17世紀に入り,より活発となり,それにともなって,さまざまな開発が地球上に広く展開されるようになった。それらの開発によって生み出された商品は,世界市場へと流れ込んで人々の暮らしを変えていったが,開発はまた,必要な労働力を確保するための大規模な人の移動と,それにともなう軋轢を生じさせるものであり,そこで生産される商品や生産の担い手についても,時期ごとに特徴をもっていた。
 17世紀から19世紀までのこうした開発の内容や人の移動,および人の移動にともなう軋轢について,カリブ海と北アメリカ両地域への非白人系の移動を対象にし,奴隷制廃止前後の差異に留意しながら論じなさい。解答は,解答欄(イ)に18行以内で記し,必ず次の8つの語句を一度は用いて,その語句に下線を付しなさい。

アメリカ移民法改正(1882年) 大西洋三角貿易 年季労働者(クーリー) リヴァプール 

奴隷州 白人下層労働者 産業革命 ハイチ独立

解答は18行(540文字)以内で記し、必ず次の8つの語句を一度は用いて、その語句に下線を付しなさい。

第1問 解答

《主題》 

開発の内容や人の移動、軋轢について述べなさい

《対象》

カリブ海と北アメリカ両地域へ非白人系の移動を対象に

《時期》

17世紀から19世紀

《副題・留意点》

奴隷制廃止前後の差異に留意しながら論じなさい

大西洋からインド洋、太平洋にかけて広がる海を舞台にした交易活動は17世紀に入り、より活発となり

→大西洋三角貿易

それにともなって、さまざまな開発が地球上に広く展開されるようになった。

→プランテーションの開発 産業革命の進展

それらの開発によって生み出された商品は、世界市場へと流れ込んで人々の暮らしを変えていったが

→商品作物 工業製品

開発はまた、必要な労働力を確保するための大規模な人の移動と、

→奴隷貿易 クーリー貿易

それに伴う軋轢を生じさせるものであり

→奴隷狩り ハイチ独立 南北戦争 移民制限

そこで生産される商品や生産の担い手についても、時期ごとに特徴をもっていた。

→サトウキビ 奴隷   綿花 奴隷    奴隷制廃止後、クーリー(鉄道建設)

ゆげ A①:

17世紀以降、西インド諸島は「砂糖の島」となった。そのプランテーションには黒人奴隷が充てられた。そして、それら「白い積み荷」と「黒い積み荷」を扱った大西洋三角貿易はリヴァプールに莫大な利益をもたらし、この蓄積は英国に産業革命をもたらした。その英国工業は原料を求め、合衆国南部に綿花プランテーションと大規模な奴隷制を展開させた。つまり、奴隷制が工業化を準備し、工業化が奴隷制を促したと言える。しかし、一方で工業化は奴隷解放も促した。例を二つ。一つ目、商工業の発達は市民階級を台頭させ、フランス革命等を引き起こした。その本国の自由主義思想に影響を受けた仏領サン=ドマングの黒人奴隷は解放戦争を展開、ハイチ独立に至った。二つ目、工業化の進んだ合衆国北部でも、自由主義思想が進展、南部奴隷州と対立し、南北戦争に至った。同戦争の結果、合衆国は奴隷制度を廃止した。しかしながら、前近代的な奴隷制度が廃止されても、近代は奴隷に類する低賃金労働力を欲し、北米への苦力貿易が展開された。主に中国から入ってきた年季労働者は低賃金長時間労働に耐えるため、白人下層労働者から敵視された。また、同化も拒んだため、WASPにも嫌悪された。結果、アメリカ移民法改正により中国からの移民が禁止されるに至った。(538文字/540文字 数字は2文字1マス)

ゆげ A②:

奴隷制度廃止以前、リヴァプールを基点とした大西洋三角貿易で、西アフリカの黒人が、西インド諸島に奴隷として売られ、主に砂糖プランテーションに従事させられた。軋轢としては、白人地主層の収奪に対する、初の黒人共和国ハイチ独立が挙げられる。奴隷貿易を原資とした英国産業革命の進展により、その原料供給地として北米南部は綿花畑となり、ここにも、黒人奴隷が投入された。軋轢としては、米国の綿花プランテーションを維持したい奴隷州と工場労働者を得たい自由州で争った南北戦争が挙げられる。また、これら奴隷は、西アフリカ沿岸部の黒人が内陸の部族を狩って、売り渡したものであり、軋轢として、今日まで続く、沿岸部と内陸部の部族間抗争がある。奴隷制度廃止後のアメリカでは、更に工業化が進み、その中核となった大陸横断鉄道の建設などに、アイルランドや中国の年季労働者が使われた。彼らは、渡航費を借りた事実上の債務奴隷であった。特に、苦力と呼ばれた中国人労働者は軋轢を生んだ。彼らは中華街を形成し、WASPに同化せず、極端な長時間低賃金労働で白人下層労働者から仕事を奪った。そのため、19世紀末に、中国人移民を排斥する、アメリカ移民法改正に至った。

アイルランド系の記述は本問において要求されてないが、文章の展開のために書いた。

第2問 問(1) (a)

紀元前l世紀に地中海世界を統ーしたローマは,その広大な帝国を統治するために,宗教をさまざまな形で支配政策に組み入れていった。パレスチナの地に生まれてローマ帝国内に信仰を広げたキリスト教は,皇帝による宗教政策との関わりで,(a)はじめ激しく迫害されたが,やがて(b)紀元後4世紀前半には国家に受け入れられるようになった。

下線部(a)・(b)に対応する以下の問いに,冒頭に(a)・(b)を付して答えなさい。

(a) キリスト教徒がローマ皇帝に迫害された理由を2行以内で説明しなさい。

第2問 問(1) (a) 解答

一神教を理由に皇帝崇拝を拒否し、また多神教のローマ文化に対しも否定的な態度を取る等、反社会集団と見なされたため。(56文字)

第2問 問(1) (b)

キリスト教はローマ皇帝によってどのように公認されたか,その皇帝の名前と公認の理由に触れながら, 2行以内で説明しなさい。

第2問 問(1) (b) 解答

経済状況の悪化により基督教徒は増加していた。故に、コンスタンティヌス帝は人心の掌握・統合を目指しミラノ勅令で公認した。

第2問 問(2) (a) 

問(2) 中国では貌晋南北朝時代になると,国家との関わりのなかで,今日まで影響力をもつような宗教が現れた。以下の(a)・(b)の問いに,冒頭に(a)・(b)を付して答えなさい。

(a) この時代には,鳩摩羅什が華北で国家の保護を受けて布教するなど,仏教が本格的に広まった。陸路や海路で西域やインドとの間を行き来して,仏教の普及につとめた人々の活動について, 2行以内で説明しなさい。

第2問 問(2) (a) 解答

法顕は印度で仏典を得て中国に戻り漢訳に努めた。クチャ出身の仏図澄は華北での布教に尽力。印度僧達磨は禅宗を中国に伝えた。(59文字)

第2問 問(2) (b)

(b) 北魏では,太武帝の保護を受け,その後の中国で広く信仰される宗教が確立した。その宗教の名称とその特徴,およびその確立の過程について2行以内で説明しなさい

第2問 問(2) (b) 解答

道教。現世利益の追求が特徴。特定の開祖・教義がない融合宗教だったが、寇謙之が新天師道という道教教団を整備した事で確立。(59文字)

第2問 問(3) (a)

メロヴイング朝フランク王国の急速な勢力拡大の背景には,その基礎を築いた王の改宗があったと考えられている。以下の(a)・(b)の問いに,冒頭に(a)・(b)を付して答えなさい。

(a) 他のゲルマン諸部族の王の大部分は,当時どのような宗教を信仰していたか, 2行以内で説明しなさい。

第2問 問(3) (a) 解答

木などの自然物やアリウス派を信仰していた。アリウス派はニケーア公会議で敗北したイエスの人性を強調する宗派であった。(57文字)

第2問 問(3) (b)

(b) このメロヴィング朝の王は,どのような宗教に改宗したのか,この王の名前とともに. 2行以内で説明しなさい。

第2問 問(3) (b)

王クローヴィスはアタナシウス派に改宗した。同派は旧ローマ系住民に信仰され、神と精霊と子イエスの三位一体を説いた。(56文字)

Copyright (C) 2021 YUGEJUKU. All Rights Reserved.

​特定商取引法に基づく表記はこちら

  • Twitter
  • YouTube